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熊本簡易裁判所 昭和30年(ろ)392号 判決 1958年7月11日

被告人 北村勇

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は被告人は

第一、昭和二十七年五月二十五日熊本市黒髪町坪井、済々黌自転車置場に於て浜田圭太郎所有の自転車一台(価格一万円相当)を窃取し、

第二、同月三十日同市上通町三丁目銀杏パチンコ店前に於て野口増雄所有の自転車一台(価格五千円相当)を窃取し、

たものであるというのであるが本件に於て被告人の有罪を認定するに足る有力なる証拠は全記録を通して左の四点である。

(一)  昭和三十年四月二十日付検察官副検事山内清人作成の被告人供述調書、

(二)  同年同月二十一日付右同調書、

(三)  有限会社香川商事並に野口増雄各作成の被害弁償に関する証と題する書面、

(四)  質入申込契約書、

被告人は右(一)(二)の山内副検事に対する自白以外警察以来公判廷に於ても終始犯行を否認しておる。

そこで先ず被告人が犯行を自白した第一の供述調書について考えて見ると昭和三十年四月九日付山内副検事作成の被告人第一回供述調書によると被告人は本件犯行を全面的に否認しながら同月二十日の取調べに於て初めて犯行を自白し其の後事件が公判に移るや終始一貫否認を続けておる。それは一体何故であろうか。此の問題を解決するには当審証人西村平八郎及同坂田新蔵の証言を検討する必要がある。西村平八郎は当審に於て二回に亘り取調べを受けたのであるが同人の証言を要約すると、昭和三十年四月中被告人が本件で逮捕され取調べを受けておる際面会のため被告人の妻と一緒に検察庁に行つたところ丁度被告人が山内副検事の取調べを受けておる時であつた、同副検事が以前山鹿勤務中知つていたので面会して被告人家が女手や子供ばかりで目下煙草の移植期であるのに、それが出来ないで非常に困つておる実状を訴え早く家に帰して貰えるようお願したところ同副検事は本当のことをいわんから、いつまでも出されん、といわれたので証人は被告人に対し否認ばかりせずに盗んだといつて早く出た方がよい、との意味のことを注意した其の後に山内副検事を訪問した際被告人は犯行を認めたが弁償をするか、どうかといわれたので被告人が一日も早く家に帰れることを願つていたので弁償でもすれば尚更早く帰れると思つて被告人の妻と相談して被害者に弁償して二通の書面を山内副検事に差出したら間もなく帰して貰つた趣旨であり一方坂田新蔵の証言の要旨は昭和二十七年五月二十一日初めて被告人の妻の病気を往診したら産褥性の敗血症を起しておることが分つたので注射して投薬した。尚二十一日から二十六日迄は投薬し此の間四回往診した、二十五日は午後に往診したと思うが当日は被告人も在宅した。同日はその当時としては高価なオーレオマイシンを投薬したので代金は当日支払つてくれと特に被告人に希望したから記憶しておる。証人が診察を終えて帰つてから被告人が薬を取りに来たと思うが其の時は患者は重態で一刻も早く薬を患者に与うる必要があつたので其の日被告人が町の方に出たとは考えられない、趣旨である。

被告人が昭和二十七年四月二十日本件第一の犯行を山内副検事に自白したときの供述調書の記載を要約すると、被告人は昭和二十七年五月二十五日昼過頃出町の姉方に行き済々黌で運動会があることを聞き見に行こうと思い姉方の用を済まして同家を立ち出て出町で焼酎三合位飲み京町の四ツ角からバスで子飼橋迄行き、それから歩いて済々黌に行き(被告人の陳述によると被告人宅から済々黌迄は片道三里という)運動会を見ておる内に一つ飲代にするため自転車でも盗もうという気になり校庭の物置みたような処にあつた自転車を盗み正門の方に押して行つた、それから三軒町を通り浄行寺町に行き電車停留所附近の飲食店でラムネを飲み腰掛けておる内、眠気が付き一寝入りして目が覚めた時は日が暮れていた趣旨の供述である。

以上の各供述を詳細に比較対照して見ると被告人が山内副検事に対し自白した犯行の時間と坂田証人が被告人方に往診に行き終つて被告人が坂田医師の宅迄(被告人の陳述によると往復二里という)薬取りに往復しておる時間とは重複しており到底両立を許さないものであるから結局どちらかの供述が事実に反したものであるということになる、其の点について考えて見るに被告人は前示(一)(二)の自白以外は警察以来公判廷に至るまで終始犯行を否認しておる。一面坂田医師の証言は大体にカルテに基く陳述で真実性が強い点などから右自白調書を翫味すると被告人が山内副検事の取調べを受けておる頃が被告人家は煙草の移植期であるのに被告人家には人手がなく非常に困つていたこと、折も折西村平八郎が被告人に対し否認ばかりせずに盗つたといつて早く出るようにとの意味の注意を与えたことなどから被告人も一応山内副検事に迎合した陳述をするのが得策であると決心して遂に(一)の自白供述となつたものと認むることが最も正しい見方であると確信するから右(一)の被告人供述調書は任意の供述とは認め難いので之を証拠とすることはできない。

次に(二)の供述調書についても自白の動機は右(一)の場合と同一であると認めるから之又任意の供述とは認め難いので証拠とすることはできない。

次に(三)の弁償の点については己に述べた通り山内副検事から西村平八郎に対し被告人は自白したが弁償はどうするかという意味の話があつたので弁償でもすれば尚、早く出して貰えると思つて弁償したと述べておる通り此の弁償は被告人がしたものでもなく第三者である西村平八郎が被告人の妻と相談してしたことで、それも被告人を早く帰して貰いたい許りに深い考えもなく被害者に弁償したものであると認めることが適切な判断であると信ずるから之あるがために被告人の有罪を認定する証拠にはならない。

次に(四)の質入申込契約書であるが此の質入申込契約書は本件公判手続の中途迄は本件第一犯罪事件の自転車入質に関するものとして総ての手続が進行せられて来たものであるが昭和三十二年四月十六日の実地検証の結果初めて本件犯行とは関係ないことが判明したものである、尚本件質入申込契約書は領置又は押収等の手続を経て記録に現れたものでないため其の出所に疑問が多く之に関し被告人は警察署の二階に於て刑事に書かされたものであると主張し、又証人香川スミエの昭和三十二年三月十八日の当審証人供述によると「刑事が被告人を連れて証人方に来た際刑事が被告人に質入申込契約書を書かせ指印を押させたかどうかは判然記憶しないが、そういうことがあつたようです」と述べており尚又本件第二犯罪の自転車に対する質入申込契約書は証人小林善次及同若宮秀敏の証言を綜合して見ると、小林質店から若宮刑事に差出されたのであるが、其の後紛夫して発見されないということになり、そうすると(一)の申込契約書と対照することも出来ない等のため果して昭和二十七年五月二十三日(本件(一)の犯行は二十五日)北村勇と名乗る人物が香川方に他の物品を入質に来た際、其の者が其の場に於てこの申込契約書を書き指印を押したものであるかどうかさえ頗る疑問多く、仮にそうでありとしても、之は本件犯行以前のことで本件とは直接関係がない。而も証人香川スミエは二十五日に来た人物と二十三日に来た人物とが同一人か否か全然記憶がない、といつておる、又証人小林善次は入質に来た人物と被告人とは似てはおるが確信を以てはいえないと述べておる。

そうすると本件質入申込契約書を以てしては本件犯罪を認定する証拠とするには不十分である。

以上(一)乃至(四)の外被告人の有罪を認定するに足る証拠は全然存在しないので結局刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をなすべきものであると認め主文の通り判決する。

(裁判官 中津海義則)

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